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10年イシウエのブログ~とりあえず今日を生き抜きたいからっ!~

”凡人”10年イシウエがそれでも生き抜くために日々摂取している『心の栄養素』あれこれを書き綴っていきます。

”みっともないことはしたくない”、やせ我慢の音楽サイト・ナタリーの挑戦

 先日のエントリー”凡人の戦い方〜”フロントマンを失ったバンド”フジファブリックの場合 - 10年イシウエのブログ~とりあえず今日を生き抜きたいからっ!~”を書いたとき思ったんですけど、やっぱ

音楽サイト・ナタリーのライブレポは素晴らしいな、と。

 

 ちなみに個人的には音楽の情報を得たいときによく除くサイトっていうと洋楽なら


Pitchfork

だったり


amass

だったり。また邦楽なら


OTOTOY - ハイレゾ音楽配信と音楽記事

が多くて正直ナタリーはあまり活用してないんですけど(ゴメンね)、でもナタリーのライブレポはとにかく読んでるとライブを観た気持ちになるんで大好きです。

オープニングから終演まで何が起こったかを書き手の主観的な感想をなるだけ省いた上できっちり網羅してくれてるし、で、そこには当然のごとくセットリストもつけてあるし。非常に仕事が丁寧だな、と感じるんです。それとなにより対象に対する愛があるな、と。

 

それで改めてナタリーのことが気になったのでこの本を読んでみました。

 

ナタリーってこうなってたのか (YOUR BOOKS 02)

ナタリーってこうなってたのか (YOUR BOOKS 02)

 

 

 

〇「批評をしない音楽サイト」を目指して

大山氏はそれまでの既存の音楽メディアに

自分語りに毛が生えたような感想文レベルのレビューや、聞き手の自意識を押し付けるだけのインタビュー。そうしたレベルの低い文章が、”批評”を名乗って世にあふれている状況が嫌だった。

いつも「お前のトラウマなんか知るかよ!」と苛つきながら音楽雑誌を読んでいたことを思い出す。

 と感じていて、

ウェブ上のさまざまな場所に散在する音楽情報を集めてリンクを貼り、ちょっとしたコメントをつけて紹介するスタイルのサイト 

 ”ミュージック・マシン”を2001年ゲーム雑誌の編集者をやってる傍ら個人的に立ち上げるんですね。その際、大山氏が考えたサイトのポリシーというかコンセプトは

・批評をしない

・全部やる

 

つまり、編集者としての自分の好みやら思想など入れず、ただただとにかく音楽の情報なら全て載ってるサイトを目指したわけ。

 

いやぁしかし読んでてこの「お前のトラウマなんか知るかよ!」ってとこは大笑いしましたよ。それって私が中高生の頃貪るように読んでたロッキンオンの読者投稿記事の事、思いっきりディスってるでしょ!って。

 

確かに、今でいう中二病全開の若かりし頃はああいった記事に自分を投影したりして、それなりに感銘受けたりしてたんですけどねぇ(遠い目)…あの頃はああいった”自分の悩みを代弁してくれるような文章”が必要だったりするんですよ。だけど単にミュージシャンの情報を知りたい時にはああゆう自意識丸出しな批評もどきな言葉は邪魔なだけ、と思う気持ちもよく分かります。

 

〇コンセプトを決めたら是が非でもそれを守る。

…さてその後、私設サイトが話題となり大山氏はフリーの音楽ライターになる。その頃に同じ音楽サイトの仲間である津田大介氏とオフ会で知り合い、『新しい音楽メディアの創設』を考えるようになった、と。

そして2006年

東京・下北沢に家賃20万円の3LDKを借り…計3名の常勤スタッフで業務をスタートさせた。

それが現在まで続くナタリー、というわけ。

 

驚いたのは最初から事務所を借りていた、という点。だってウェブメディアなのだからぶっちゃけスタッフがわざわざ毎日顔を突き合わさなくてもパソコンとネットを使い在宅で仕事しても成り立つ訳で(だってその方が経費も浮くだろうし)。しかしこれには大山氏の実に深いこだわりがあるんですね。

 

ナタリーで何を記事にするかについて、その基準を言葉にして伝えるのはなかなか難しい。たぶんその阿吽の呼吸を維持するために、我々はオフィスを構えて毎日出勤してるのだと思う。

 

その”ナタリーで取り上げるべき記事”とは第一に『ファンが知りたいこと』。それは音源のリリースやライブ告知はもちろん例えば”〇〇というアーティストが明日笑っていいともに出ますよ”といった、なかなか月刊の雑誌には載らないであろう、しかしファンなら知っておきたい”かゆいとこまで手が届く”情報。

そして

必要なのは情報だけ。感想や見解は記事を読んだ読者1人ひとりがそれぞれ考え、TwitterやFacebook、ブログに書いてくれればいい。または友達と会ったときにナタリーの記事をネタにしてひととき楽しく会話してくれればいい。我々はそのための”素材”を提供できれば本望だ。

 という”ミュージックマシン”から続くいわば「書き手の顔が見えない匿名的な」スタイルをとにかく貫き通す、と。

 

その為に必要な事、記事の信憑性を得るための裏取り・下調べは徹底的にする。ナタリーって見た目”ゆるい”雰囲気を醸し出しているんだけど、ウェブの世界ではおざなりになってるこうした確認作業をきっちりやってるんですね。なるほど。

 

〇”みっともないことはしたくない”

 

あととても興味深かったエピソードがありまして。創設メンバーの津田大介氏と唐木元氏の対談の中で忌野清志郎氏のお葬式の話があって、既存のメディアは取材を許されたのにナタリーはマスコミのカメラゾーンに入れなかったそうなんですね。

唐木 『…で、そこで何が起きたかと言うと出棺前にCHABOさんが清志郎さんのギターを天に掲げたらしいんだけど、そのCHABOさんにどこかのカメラマンから「そこのオジサンどいて!見えないよ!」みたいな声が飛んだんだって。』

 

 つまり忌野氏のファンなら当然知ってるRCサクセション時代の盟友・CHABO氏のことをそのカメラマンは知らずに罵声を浴びせた、と。そんな奴が取材できるのになぜ音楽好きな我々がウェブメディアだから、といって取材できないのか、ととても悔しい思いをした、という話。

 

ところで日々仕事をやっててたまに嫌だな、と思う時って”ゲスい”ことをやらなきゃいけないときなんです。人の裏かいたり揚げ足取ったり間違いを強引に認めさせてこっちの有利な方に持っていったり…仕事なんだから、お金が絡んでるのだから、と自分に言い聞かせてもやっぱりどこか釈然としない気持ちが残ったりして。

 

しかしこの本を読んでてナタリー、というか大山氏は忌野氏の葬式で怒鳴ったカメラマンのような”取材対象に愛のない”人間にだけはなりたくない、そんなみっともないことだけはしたくない、たとえそれがビジネスとして割り切ってない、と批判されようとも…という強固な意志に突き動かされているのだな、と感じました。

 

メディアとしては正直言って草食っぽいというか、生命力の弱い話だと思う。世の中の人々はいつでも下世話なネタを求めている…

「儲からなくてもいい」とはひとつも思ってないが「そんなことしてまで稼ぎたくないよ」という思いは、常にどこかにある。

そうやって自分たちの矜持を守っていても腹はふくれないし、営利目的である以上そうしたスタンスはおそらく間違っているだろう。

しかし複雑な気持ちを抱えながらも、越えてはいけない一線があるような気がして日々やせ我慢を続けている。

 

本来我々のような音楽好きは心のどこかに自由でフェアーなものを求めてるもんなんです。だけど現実の社会ではそうした理想はあえなく踏みにじられることが多い…だけどナタリーはそんなゲスな世界にシビアに挑戦してる、それはまさに青臭い理想をかざして歌に託すロックバンドのように。なんだかその戦いの行く末を見守りたい、だってそんな人たちが最後には勝つ世の中であって欲しいもん。そんな気分になった本でした。

 


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