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10年イシウエのブログ~とりあえず今日を生き抜きたいからっ!~

”凡人”10年イシウエがそれでも生き抜くために日々摂取している『心の栄養素』あれこれを書き綴っていきます。

写真家・大橋仁氏の”タイの売春婦の写真、無断で日本の美術館に展示した問題”について(昨日のエントリーの続き)

アート

昨日書いたエントリー”えげつない写真”をアートと言い張る大橋仁氏に時代錯誤を感じる、というお話 - 10年イシウエのブログ~とりあえず今日を生き抜きたいからっ!~

が期せずして多くの人に読まれているようで(今見たらはてなブログの人気エントリーにがっつり取り上げられてた)

正直ビビってます10年イシウエです。

 

今までこのブログの一日のPV数って100越えたら万々歳、の世界でしたからね。まぁそれほど大多数の方々が興味を持っていたトピックだったんでしょう。

 

でも言うなれば”悪口”に近いこと書いてたんで、『こんなに注目されるとは…』と実はちょっと複雑な心境です…はい。

 

さて…気を取り直して昨日のエントリーの補足というか、公開後思いついたことを書いておきます。

 

まず一つ白状したいことがありまして。今問題になってる写真家・大橋仁氏のインタビュ―記事ですが↓


男女300人の絡みを撮影...知性と理性を吹っ飛ばせて見えた境地とは【大橋仁 INTERVIEW】|タブロイド - オトコをアゲるスマホニュース

 

私、ツイッター等で話題に上る数日前に読んでました。で、その際『タイの売春宿で撮影禁止とシールが貼ってあるにもかかわらず写真撮って、売春婦の女の子たちがパニックになった。その写真を2007年に東京都写真美術館に展示した』という件ももちろん読んでた訳です。

 

その時思ったのは『この人、そういや父親の自殺未遂現場の血なまぐさい写真撮ってたようなぁ。そんな芸風?ならこうゆうことくらい平気でやっちゃうだろうなぁ』

って感じで、そこまで引っかかることなくそのまま読み進めてました。

 

目のまえのつづき

目のまえのつづき

 

 

 

このことが肖像権の侵害だったり、セックスワーカーの人権無視といった重大な問題をはらんでいるということを真剣に考えたのはツイッターで多くの人が発言してるのを読んでから。

 

つまり言ってみれば私も最初からこの話題に対して問題意識を感じてたわけではなかった、と。残念ながら鈍感だったですね。

 

 …ちなみに昨日のエントリーを書いた後に読んだ”椎名こゆり”という方のブログには非常に感銘を受けました。


東京都写真美術館に送付したメールの内容 - goodnight, sweetie

 

 自身がセックスワーカーである、という当事者の生々しい体験から吐き出された悲痛ともいえる叫び。私も当事者の痛みを想像する力が足りなかったことは間違いないわけで。ちょっと読んでて胸が痛くなりました。

 

この方の真摯な問いかけには美術館のみならず大橋氏本人も是非逃げずに答えて欲しいですね。自分の表現に自信があるのならなおさら、ね。

 

〇アートをめぐる二つの問題

大橋仁氏の話題に関してもそうだけど、現代の”尖がった”アート表現に必ずと言っていいほど付きまとう二つの相反する問題、

 

『アート(表現活動)は本来あらゆる規制から自由であるべき』

『アートだからって、なんでもやっていいわけじゃない』

 

ってやつ。こいつがなかなかやっかいな話で。

 

だいたいアートを志す人って世間の常識からはみ出してるわけで。てかそんな我々凡人としてはそんな常識にとらわれない人の自由闊達なイマジネーションの飛躍を見てみたいのだよ、って思うし。

 

しかしそのイマジネーションが倫理や善悪に抵触する場合、それを一律にダメだと押し込めていいものかどうか?

でもそのイマジネーションのおかげで傷つく人がいるとしたら?

 

昨日は偉そうに大橋氏の批判めいたこと書いたけど、私にはこの問題の答えはそうそう簡単に出てこないな。

 

そもそもどんな表現ならよくて、何がダメなのか決めるのは誰なのか?法律?世間の空気?

そんなものは時代によってもコロコロ変わってるし。更にいうならアートの歴史ってそんな”何がアートなの?”という概念をときに過激に大胆に破壊、拡張してきた歴史でもあるわけだし。

 

う~ん、難しいわやっぱ(頭ばーん)。

 

サルでもわかる都条例対策

サルでもわかる都条例対策

 

 

〇公開するのか?しないのか?

 

…とはいえモラル的にいいのか悪いのかわからんけど、どうしようもない強い表現欲求から作品をこしらえました、となってもそれを公に発表するかしないか、というもう一つの壁、というか選択がありますよね。別に作ったからといって是が非にも公開しないといけない、という訳でもないし。

 

”公開する”となるとそこにはある種の”責任”が生じる、と思うんですよ。それは公開することによりその作品があらゆる批評に晒される、ということ。作り手にとって受け入れがたい批評ならそれを打ち砕く強い論理なり思いがなければならない、と。

 

それがないのなら公開しないほうがよい。オナニーと一緒で自分の中で大人しく欲求を発散しておけばいい。

 

 大橋氏は公開してしまった、タイの売春婦の写真を。彼女たちに無断で。美術館というアートの器の中で。

 

その時点で『いや、撮られる方が嫌がってたとか知らんし。俺の撮りたい欲望が抑えられなかっただけだし』といった言説は言い訳にしかならんのじゃないでしょうか?

 

そのことについてどう思ってるか、だけでも説明してほしいな。やっぱモヤモヤするもんな、と切に思う次第なのです。