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10年イシウエのブログ~とりあえず今日を生き抜きたいからっ!~

”凡人”10年イシウエがそれでも生き抜くために日々摂取している『心の栄養素』あれこれを書き綴っていきます。

生き延びるための文学とは?~都甲幸治著”生き延びるための世界文学: 21世紀の24冊”について~

先日はてなブックマークの人気エントリーになってた記事が面白かった。

 

wired.jp

 

今もっとも刺激的な小説を紡ぎだす文学者二人と翻訳家の対談が人気エントリーになる、つうのがまずえらく不思議だったのよ。だって正直世間的にそんなに需要があるとは思えなかったので。でももしかして私が思ってる以上に彼らは注目されているのかもしれない。

 

さて残念ながら円城塔氏の著作は今のとこ読んだことがないのですが、アメリカの作家、ジュノ・ディアスは以前読んだ”オスカー・ワオの短く凄まじい人生”がとても印象に残っててずっと気になる作家さんだったのです。

 

 

オスカー・ワオの短く凄まじい人生 (新潮クレスト・ブックス)

オスカー・ワオの短く凄まじい人生 (新潮クレスト・ブックス)

 

 

オスカーはファンタジー小説やロールプレイング・ゲームに夢中のオタク青年。心優しいロマンチストだが、女の子にはまったくモテない。不甲斐ない息子の行く末を心配した母親は彼を祖国ドミニカへ送り込み、彼は自分の一族が「フク」と呼ばれるカリブの呪いに囚われていることを知る。独裁者トルヒーヨの政権下で虐殺された祖父、禁じられた恋によって国を追われた母、母との確執から家を飛び出した姉。それぞれにフクをめぐる物語があった…

 

 

この小説をなんと11年の年月をかけて書き上げたジュノ氏はピュリツァー賞と全米批評家協会賞というアメリカの権威ある文学賞をダブルで受賞し、一躍”世界文学の旗手”として時の人となります。

 

しかしなんといっても彼の作家になるまでの経歴が興味深いのです。

 

6歳の頃家族でドミニカからアメリカに移住したものの父は失踪、兄は白血病を患い、まわりはまともに英語すら話せないような移民たちが暮らす町で極貧生活の中ただ一人大学に進学し、その後デビュー短篇集”ハイウェイとゴミ溜め”(1996)で高い評価を受ける。

 

 

ハイウェイとゴミ溜め 新潮クレストブックス

ハイウェイとゴミ溜め 新潮クレストブックス

 

 

一言でいえば”苦労人”。ここまでインテリ環境からは程遠い場所に育ちながら見事作家になった人(なおかつもともとスペイン語しか話せなかった人が英語で小説を書いてる)っつうのもかなり珍しいんではないでしょうかね。

 

 

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ところでこの”オスカー・ワオ…”の翻訳者であり対談の出席者でもある都甲幸治氏が去年こんな本を発刊していたのです。

 

生き延びるための世界文学: 21世紀の24冊

生き延びるための世界文学: 21世紀の24冊

 

 

 

このブログのタイトルに”生き抜く”という言葉を使ってる私にとって、”生きのびる”という単語が入ってる本なら何はともあれとても気になる、というもの。さらにこの本にはジュノ・ディアスの最新短編である”モンストロ”が収録されてる、とのことで、これは是非とも読まねば!と思い早速手に取った次第。

 

基本的にこの本は世界各国の作家24人を取り上げ、その作品を都甲氏が論じているいわゆるエッセイ集なんですが、その作家たちのチョイスには都甲氏独自のこだわりを感じます。

 

1983年生まれ・台湾系アメリカ人の”タオ・リン”、ロングアイランドの敬虔なユダヤ教コミュニティーで育ったにもかかわらず後に棄教している”ネイサン・イングランダー”、白人とネイティブ・アメリカンの混血として生まれた”シャーマン・アレクシー”、ユーゴスラビア出身でアメリカ在住時に祖国で戦争がおきたためそのまま留まり作家になった”アレクサンダル・ヘモン”、父親はほぼ無名のまま死んだ作家で自身もアル中でドンずまりの生活を送っていた”ダン・ファンテ”、黒人女性で初めてのノーベル文学賞受賞者”トニ・モリスン”、そしてもちろんジュノ・ディアスも。

 

少数派の声なき声を丹念に、ときに大胆に文学へと昇華してる作家たち、とも言えるかもしれません。そうした人たちの言葉はまさに”生きのびるための文学”としての切実さを内包しているのでしょう。

 

…でも実はこの本で一番感動したのは都甲氏が書いたまえがきの文章なんです。ですからちょっと長いけどその文章の一部を抜粋したいと思います。これ読んで私がどうして文学に限らず音楽を、映画を、あらゆる表現をこれほどまで摂取しないとやってられないのか?がはっきり分かりましたよ。自分の内なる想いをこれほどまでにビビッドに書き表してくれてる文章、って今までなかなかお目にかかれなかったな、ほんとに。これにピンときた方は迷わずこの本を読んで、ここに紹介されてる作家の作品をどれでもいいから手に取ってみることをお勧めしたいですね。『海外文学なんて…』と思って食わず嫌いしてる人は特に、ね。

 

文学は何のためにあるのか。生き延びるために。たとえば夜だ。君は疲れ果て傷ついてる。伝わらなかった想い。明日への不安。そうしたものが頭の中で渦巻き、どうしても眠れない。そんなときどうする?

 

友達に電話する?それもいいだろう。でもまた心がすれ違ってしまえば、辛さは増すばかりだ。だから君はペンをとる。想いを、一字一字正確にたどって紙に記していく。ただ気持ちを引き写しているだけなのに、だんだんと気持ちが鎮まるのがわかる。

 

言葉には、人の心を鎮める力がある。それは歌になり、詩になり、物語となるだろう。心にある、夜の密かな、ほとんど聞こえないほどのか細い声が言葉によって拾い出される。そして自分とは異なる言語を使う書き手の発した言葉でも、それが生の真実を捉えているとき、僕たちはそこに自分を見る。地球の裏側で、かろうじて一分一秒でも生き延びるために探り取られた言葉が、なぜか僕たちに力を与える。 

 

ならば文学の言葉とは、暗闇の中で差し出された手のようなものだろう。書き手は誰とも知れない相手に向かって、言葉に載せて自らの命を差し出している。それは場所も、時代も、言語も違う生の中で紡がれた言葉だ。僕らは数万の偶然を超えて、そうした言葉と確実に向き合い、しっかりとその手を握り返す。そのとき、生きていくための知恵が、見知らぬ者から送り届けられる。その相手が死者であっても生者であってもだ。 

 

 だから、どんな文学賞を獲っているかなんてどうでもいい。発行部数だって気にしなくていい。新作か古典か、何語で書かれているかも忘れてしまってかまわない。連ねられた言葉を前にして、確かにそこに、自分でも見失いそうな自分の密かな部分がある、と君が感じるならば、他に何を付け加える必要がある?

 

 


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